ブラ街道

街道をブラブラ行きます!街道はなぜ街道となったのか。街道に歴史あり。

00 日本橋→品川 東海道

T00-6 旧東海道を行く 江戸はここまで高輪大木戸門

投稿日:2018-08-19 更新日:

今回は、芝4丁目交差点から高輪二丁目交差点までの約2.3kmの道を紹介します。かつては海沿いだった東海道。現在は第一京浜という大きな道になっています。

泉岳寺駅交差点から南東のかつては海だった広大な土地は、40年ぶりに山手線の新駅(名称未定)ができる予定です。またその南にはリニア新幹線の品川駅もできる予定で、大規模な再開発がされていくようです!

<今回のポイント>
◎芝4丁目交差点
↓450m
西郷隆盛と勝海舟の会見の碑
↓450m
札の辻交差点
↓300m
元和キリシタン遺跡
↓700m
高輪大木戸門跡
↓500m
泉岳寺
↓600m
高輪海岸の石垣石

品川駅へ

 

江戸無血開城の話し合い
芝4丁目交差点を少し右に折れ、450mほど進むと、三菱自動車の建物があります。三菱自動車の一角に西郷隆盛と勝海舟が会見の碑があります。

西郷隆盛と勝海舟の会見の碑
2017/7/10 江戸無血開城会談

ここで江戸無血開城の話し合いが行われました。
今では埋め立てが進み、海からは遠いのですが、話し合いが行われた当時は海沿いであったようです。

江戸無血開城会談
2017/7/10 江戸無血開城会談

田町薩摩邸(勝・西郷の会見地)附近沿革案内

田町薩摩邸(勝・西郷の会見地)附近沿革案内
この敷地は、明治維新前夜 慶応4年3月14日幕府の陸軍総裁 勝海舟が江戸100万市民を悲惨な火から守るため、西郷隆盛と会見し江戸無血開城を取り決めた「勝・西郷会談」の行われた薩摩藩屋敷跡の由緒ある場所です。
この蔵屋敷(現在地)の裏はすぐ海に面した砂浜で当時、薩摩藩国元より船で送られてくる米などは、ここで陸揚げされました。
現在は、鉄道も敷かれ(明治5年)更に埋め立てれて海までは遠くなりましたが、この附近は最後まで残った江戸時代の海岸線です。また人情噺で有名な「芝浜の革財布」は、この土地が舞台です。(看板より)

明治維新から150年となる2018年に放送されるNHK大河ドラマ「西郷どん」の第37回では「江戸無血開城」(2018年10月7日放送)が描かれます。政府軍を率いて江戸を包囲して攻め込む西郷隆盛と幕府側の勝海舟の話し合いが行われた場所です。

 

徳川慶喜将軍は

”天皇には逆らわない”とするものの

”とても信じられない”

”江戸へ攻め込む”

という西郷隆盛。

日本人同士で戦うのを避けたい勝海舟。

150年前、日本の未来を決める話し合いが行われました。

札の辻交差点
さて、会談の場所からJR田町駅を過ぎ、450mほど進むと、以前、高札場があった札の辻交差点があります。

住友不動産三田ツインビル西館

札の辻交差点の先の道路向かい側にひときわ背の高い住友不動産三田ツインビル西館(写真中央)が見えてきました。

 

元和キリシタン遺跡

住友不動産三田ツインビル西館建物の横は広場になっていて誰でも入れるようになっています。近所の幼稚園の園児たちが走り回っていました。建物の奥は小高い丘になっていて、ゆるやかな階段があります。
元和キリシタン遺跡
その階段をのぼると元和キリシタン遺跡の碑があります。そこの看板の説明によると50名のキリスト教徒が処刑されたとのことです。元和キリシタン遺跡
江戸に入る人への見せしめもあり、この地で処刑されたとされています。

都旧跡 元和キリシタン遺跡
元和キリシタン遺跡

徳川三代将軍家光が元和9年(1623)10月3日、江戸でキリシタンを処刑したことは徳川実紀によって知られている。処刑された者はエロニモ、デアンゼルス神父、シモン、遠甫、ガルウエス神父、原主水ら50人で、京都に通ずる東海道の入口にある丘が選ばれたと、パジェスの「日本キリシタン史」にあるが、その地は恐らくもとの智福寺のあった西の丘の中腹の辺であろうと考えられる。その傍証としては智福寺開山一空上人略伝記にこの地が以前処刑地で長い間空地となっていたが、そこに寺を建てることは罪人が浮かばれると考えたとあることなどがあげられる。なお、寛永15年(1638)12月3日にも同じ場所でキリシタンが処刑されている。(看板より)

 

江戸はここまで。高輪大木戸門
元和キリシタン遺跡から道を渡り、700mほど進むと、歩道から車道にせり出している小山があります。”江戸の端”である高輪大木戸門跡です。

高輪大木戸
「大木戸(おおきど)は、江戸時代に、街道上の江戸内外の境界に設置された簡易な関所」です。

高輪大木戸門跡
2017/7/10 高輪大木戸門跡

「木戸」だけに大きな木製の扉がありました。そのあとが今でも残っています。大木戸は東海道では高輪、甲州街道では四谷、中山道では板橋にありました。

高輪大木戸跡

高輪大木戸跡看板

高輪大木戸は、江戸時代中期の宝永7年(1710)に芝口門にたてられたのが起源である。享保9年(1724)に現在地に移された。現在地の築造年には宝永7年説・寛政4年(1792)など諸説ある。
江戸の南の入口として、道幅約6間(約10m)の旧東海道の両側に石垣を築きよるは閉めて通行止めとし、治安の維持と交通規制の機能をもっていた。
天保2年(1831)には、札の辻(現在の港区芝5‐29‐16)から高札場も移された。この高札場は、日本橋南詰・常盤橋外・浅草橋内・筋違橋内・半蔵門外とともに江戸の六大高札場の一つであった。
京登り、東下り、伊勢参りの旅人の送迎もここで行われ付近に茶屋などもあって、当時は品川宿にいたる海岸の景色もよく月見の名所でもあった。
江戸時代後期には木戸の設備は廃止され、現在、海岸側に幅5.4m、長さ7.3m、高さ3.6mの石垣のみが残されている。
四谷大木戸はすでにその痕跡を止めていないので、東京に残された、数少ない江戸時代の産業交通土木に関する史跡として重要である。震災後「史跡名勝天然記念物保存法」により内務省(後文部省所管)から指定された。
(看板より)

<つくり>
板塀、木戸番小屋 石垣 門 石垣
閉門時間:22:00~6:00
「両脇に長さ9m、幅7.2m、高さ3mの石垣を築き、間に柵と門がついていたようです。両開きの扉がつき、脇に板塀と木戸番小屋が設けられていたといいます。夜四つ時(午後10時)から朝六つ時(午前6時)までは、木戸番の監視があり脇の潜り戸からしか通ることができませんでした」

西郷隆盛と勝海舟が会見の地も海のそば、高輪大木戸も高輪海岸のすぐそばであったというから、江戸時代からみてもかなり埋め立てられていますね。

下の絵は大名行列が大木戸を通るところです。1862年当時でも大木戸のすぐそばまで高輪海岸が迫っているのがわかります。
東海道 高輪風景
2017/7/10 高輪風景

 

赤穂浪士がまつられる泉岳寺
高輪大木戸を進むと泉岳寺駅があります。
東海道(第一京浜)の泉岳寺駅交差点を右に曲がり、少し上ると泉岳寺があります。
泉岳寺は大石内蔵助像があり、赤穂浪士がまつられていることで有名です。

泉岳寺
2017/7/10 泉岳寺

東海道と泉岳寺
泉岳寺看板

江戸時代、このあたりの東海道は後ろに小高い台地、前に江戸湾を臨む海沿いの道だった。背後の高輪大地には四十七士で知られる泉岳寺をはじめ由緒ある寺院が多い。また付近には、幕末の頃最初のイギリス公使宿館となった東禅寺がある。
台地の上から眺望絶佳。東海道第一の宿場品川も間近に望めた。昭和の文人永井荷風は、この界わいからのながめを次のように記している。
品川の御台場依然として昔の名所絵に見る通り
道行く人の鼻先に浮かべる有様…(永井荷風「日和下駄」より)
(看板より)

高輪潮の香散歩道も整備されています。
高輪潮の香散歩道

 

高輪海岸の石垣石
泉岳寺から東海道(第一京浜)に戻り、600mほどに進むと、高輪二丁目の交差点の一角に高輪海岸の石垣石があります。

石垣石
2017/7/10 高輪海岸の石垣石

高輪海岸の石垣石
高輪海岸の石垣石看板

ここに展示されている石は、江戸時代に、高輪海岸に沿って造られた石垣に用いられたものです。
平成7年(1995)、高輪二丁目20番の区有施設建設用地内の遺跡の発掘調査で出土しました。
石垣には、主に相模海岸から伊豆半島周辺で採石された安山岩が用いられた。
発掘調査では3段の石積みを確認しましたが、最上段は江戸時代の終わりころに積みなおされたものと考えられます。正面の小ぶりの石が積みなおされたものと考えられます。3段目から下の石垣は現地でそのまま保存されています。
(看板より)

さらに進むと品川駅が見えてきます。

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