新橋から芝4丁目まで
ビジネス街の新橋
銀座八丁目から首都高速の高架をくぐり、新橋に入ります。東海道は国道15号となり、風景がビジネス街へと一変します。
すぐ西側にJR新橋駅、そこからお台場へ続くゆりかもめが伸びています。東側には汐留の高層ビル群が並んでいます。
ゆりかもめの高架を上り、汐留方面へ行くと右に日テレ、突き当たりには電通本社があります。日テレへ続く渡り廊下を行くと、朝にお天気お姉さんがよく天気予報をしている広場があります。夕方なら、そらジロウに会えるかも!
JRの高架を過ぎると赤い鳥居が見えます。日比谷神社です。
日比谷神社のすぐ後ろには日テレなど汐留の高層ビルが並んでいるのが見えます。
東京タワーが見える浜松町
東海道(国道15号・第一京浜)をさらに進むと浜松町に入ります。
道路の反対側に芝大神宮の看板、ビルとビルの間の向こうに東京タワーが見えます。
大門の交差点を過ぎ、左手の芝エクセレントビルの下に浜松町由来碑があります。
濱松町-町名の由来
武蔵野の東南端、広く海に面したこの辺りは、その天然資源も豊かなるため、古くより人間生活が営まれ、古墳時代の遺跡として今も芝公演台上に残る、大古墳跡に見られるごとく集落を形成。漁業を中心とするかつどが盛んであったと思われ、その関係が古く由緒ある社寺(芝大神宮等)が近隣に現存する。その後、乱世を迎え、太田道灌、平川城(江戸城の前身)を築く頃には、町らしき形態に成長したと考えられ、天正18年(1590)徳川家康の江戸城入場を見、城下町計画に着手。慶長3年(1598)その菩提寺増上寺を麹町より現在地に移転、さらに武家を中心に町年寄、特権商人、地元住民による東側海浜地帯の埋立工事完成。慶長6年(1603)東海道を現国道15号線上に定め、その東西両側には日常生活用品から産業用資材まで各種商人が軒を連ね商業地域の中心となり、その雨後侍に大名屋敷が並ぶ江戸の町が出現した。当時その町は増上寺代官と兼任であった。名主奥住久右衛門の支配下で久右衛門町と呼ばれ、元禄年間には遠江(静岡県)浜松出身の権兵衛という名主へ代替した事より、これ以後濱松町に改名。明治、大正、昭和、平成と受け継がれ現在に至る。江戸では歴史ある数少ない古町のひとつである。
さらに進むと古川にかかる金杉橋があります。
金杉橋から古川の下流をみると船がたくさんとめられています。
上流は渋谷川になる古川は金杉橋のあたりはもう海が近いです。
橋を少し過ぎると、ちぃばすという港区コミュニティバスのバス停がありました。ここの地図にあるように古川はもう少し下流にいくともう海です。
東京ガスの建物の一角にガス創業の地の記念碑があります。
東海道(国道15号)に沿って、芝4丁目の交差点を右に折れていき、田町駅の方へ向かいます。