ブラ街道

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00 日本橋→品川 東海道

東海道0-1 日本の道路の起点、日本橋

投稿日:2018-08-14 更新日:

東海道53次のスタート
東海道五十三次は、日本橋がスタート地点です。

東海道五十三次(浮世絵)のなかでも一番有名な保永堂版の日本橋は、橋の南側から見た大名行列の風景。
橋の手前の木戸が開き、高札場が橋の手前左に、その横には魚河岸で仕入れた魚屋が描かれています。

日本橋

日本橋北詰交差点。中央の高速道路の真ん中に「日本橋」の看板があります。高速道路の下に川があり、橋の手前左(東側)に魚河岸発祥の地の記念碑、橋の手前右(西側)に道路元標の碑があります。

魚河岸は現在はなく、スターバックスがあります。往来するのは自動車や自転車、歩行者です。隷書版の日本橋には、川沿いに倉が立ち並んでますが、現在は流通大手の国分や野村証券の本社などがあります。

魚はコーヒーに、倉は証券会社になりました(笑)

 

日本橋北詰東側の魚河岸発祥の地の記念碑があります。

日本橋魚市場発祥の地の碑が建てられています。

日本橋魚河岸跡

「所在地 中央区日本橋室町一丁目八番地域
日本橋から江戸橋にかけての日本橋川沿いには、幕府や江戸市中で消費される鮮魚や塩干魚を荷揚げする「魚河岸」がありました。ここで開かれた魚市は、江戸時代初期に佃島の漁師たちが将軍や諸大名へ調達した御膳御肴の残りを売り出したことに始まります。この魚市は、日本橋川沿いの魚河岸を中心として、本船街・小田原街・安針町(現在の室町一丁目・本町一丁目一帯)の広い範囲で開かれ、大変な賑わいをみせていました。
なかでも日本橋川添いの魚河岸は、近海諸地方から鮮魚を満載した船が数多く集まり、江戸っ子たちの威勢の良い取引が飛交う魚市が立ち並んだ中心的な場所で、一日に千両の取引があるともいわれ、江戸で最も活気のある場所の一つでした。
江戸時代より続いた日本橋の魚河岸では、日本橋川を利用して運搬された魚介類を河岸地に設けた桟橋に横付けした平田舟の上で取引し、表納屋の店先に板(板舟)を並べた売場を開いて売買を行ってきました。
この魚河岸は大正12年(1923)の関東大震災に現在の築地に移り、東京都中央卸売市場へと発展しました。
現在、魚河岸のあったこの場所には昭和29年に日本橋魚市場関係者が建立した記念碑があり、碑文には、右に記したような魚河岸の発祥から移転に至るまでの3百余年の歴史が刻まれ、往時の繁栄ぶりをうかがうことができます。」

 

橋の南は元さらし場。
それでは日本橋を南へ渡ります。

橋を渡った日本橋の南詰。東側には滝の広場があります。

滝の広場

滝の広場
密通の男女、心中未遂者らがさらされた日本橋晒し場です。今は交番の横の少し低くなったところで、その落差の部分に滝のように水が流れています。

滝の広場の階段を下りると船に乗るためのゲートの前に石碑があります。

双十郎河岸

双十郎河岸
「東 十代目 市川團十郎 西 四代 坂田藤十郎」

石碑には上記のように書かれています。

歌舞伎総合サイトによると、対岸はかつての魚河岸、その西は裏河岸、西河岸と名があるのに、名前のなかったこの船着場に、2011年、東西二人の優の名を取って「双十郎河岸(そうじゅうろうがし)」と命名されたとか。

 

今はなき「白木の名水」、今もある東急百貨店
日本橋を出発してすぐコレド日本橋のANNEX広場の脇に「白木の名水」があります。

”東京都中央区日本橋1丁目6-7”

名水白木屋の井戸
東京都指定旧跡

名水白木屋の井戸

「江戸時代のはじめ、下町一帯の井戸は塩分を含み飲料に適する良水が得られず付近の住民は苦しんでいました。

正徳元年(西暦1711年)白木屋二代目当主の大村彦太郎安全は私財を投じて井戸堀りに着手しました。翌2年、たまたま井戸の中から一体の観音像が出たのを機に、こんこんと清水が湧き出したと伝えられています。以来、付近の住民のみならず諸大名の用水ともなって広く「白木名水」とうたわれていました。

白木名水は湧出してから数百年の時を経て消失しましたが、江戸城下の歴史を理解する上で重要な遺跡です。この「名水白木屋の井戸」の石碑は江戸時代の呉服商を継いだ白木屋デパート、東急百貨店と続く長い歴史の後に、日本橋一丁目交差点角にあったものを平成16年(西暦2004年)ここに移設再現したものです」

永代通りを越えて、日本橋高島屋を過ぎたところに地図専門店ぷよお堂(日本橋3丁目)があります。
さすが地図専門店。古地図が印刷された配電盤?が1Fにあります。ひそかに地図上でぶよお堂が赤く印がつけられていますね(笑)。
ぷよお堂

東海道(中央通)をさらに南へ進むと、大きな通りとの交差点、日本橋3丁目の交差点につきます。右には東京駅の八重洲口があります。

東海道0-2(八重洲)へつづく

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