■死ぬ瞬間
死を考えることは、子どもの頃は、恐怖で気がくるいそうなことだった。心の奥でいつもその恐怖にさいなまれていたような気がする。
大人になり、様々な体験をするなかでその恐怖はしだいになくなっていった。
今日、たまたま自分が人生を終えるとき、どんな風か、久しぶりに想像をしてみることがあった。
そのとき、未来(もしかしたら過去)の自分が死ぬ瞬間に起きることに触れた気がした。
それは苦しみや悲しみはなく、祝福の中に包まれていた。
いや、単にそうであってほしいと願っただけなのかもしれないけど…
そういえば、映画ラストサムライでもそんな場面があった。
「武士道とは死ぬことと見つけたり」という言葉を残して命を終えるラストサムライが描かれていた。
『葉隠』の有名な言葉だとか。
いろんな解釈があると思うけど、死ぬ瞬間に、自分が行く場所というか戻る場所に出会うということなのではないか、それは何事にも代えがたい美しさで、渡辺謙演じる勝元が観た桜がそれを象徴しているのではないかと思う。
それはあの世というか、極楽浄土というか、神様の世界というか、この世界とは異なる世界。
ただこれは何も死ぬ瞬間に限ったことではないと思う。
自らの神性に出会うのは、死ぬ瞬間だけではなく、生きながらでも得られる感覚なのではないかと思う。