子どもにとって、平和教育の肝は、違いをうけいれることだと思う。
その基礎は、多様な大人と過ごすことで培われるものだと思う。
レッテルがなせ貼られるか。それは違いを受け入れられない恐怖からくるものと思う。
人はいつの時代も、その土地の風やにおいを感じ生きてきた。綿々と続く歴史の糸をたどると、生きた人々の息遣いを感じる気がする。現代を生きる私たちも最善を尽くして日々を暮らし生きている。その道はどこから始まりどこへ向かうのか。果て無き道を今も歩んでいる。
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子どもにとって、平和教育の肝は、違いをうけいれることだと思う。
その基礎は、多様な大人と過ごすことで培われるものだと思う。
レッテルがなせ貼られるか。それは違いを受け入れられない恐怖からくるものと思う。
執筆者:burakaido
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