「周りの人をよく見なさい。あなたはその人たちと一緒に生きている」
神社をお参りしたときのささやき。
「その人たちと調和がとれているか。あなた1人で生きているわけではない」
わかってるつもりでも、行動がともなってないことがあるのかもしれない。
人と人はそれぞれの人生が絡み合って生きている。神社からの帰り道に考えた。
▼絡合
いわしが集団で一匹の大きな魚のようにみせる話は聞いていたけど、集団で生きていることの意味が自分ごとになっていなかった。
自分ごととなると急に耳の痛い話になる。
▼よく見なさい
なんかむかつくんだよね。
「LINEの既読無視」とのこと。スタンプでもいいから返事を返してほしいと。僕は即答ができないタイプで何か考えてから回答することが多いため、すぐに何かを返す事が難しい。何も言葉が出てこないことが多い。何か連絡があっても、話かけられても、あーそうなんだねぇと言うのが精一杯でそれに対するリアクションの言葉がすぐに出てこないことが多い。だから無視している訳ではなく言葉が出てこないのである。
コミュニケーションをしたい何かがあるのではないだろうか、反応がうすいことが、どうも気にくわないのだろう、その裏には何らかの感情を、受け止めてほしい感情があるのかもしれない。とてもわかりにくいのですが、”よく見なさい”とはそれを見落とすなということなのかな。
▼非言語
言語の行間や言葉にならない感情と言うのは、時に人と人の間に重要なファクターとなる。
会社でリモートワークをするにあたっての問題点について、昨日少し話すことがあった。自分が1番危惧しているのは、その非言語の部分であったり、仕事中に聞こえてくる情報ややりとりが聞こえてこないこと。そこはかとなく聞こえてくる話から、気がつかなかったことに気がついたり、周りで何が起きているかが把握できたりする。大問題に至る前に誰かが気付いてリスク回避になってた部分があったのではないかと思う。そうした穴を埋めていた作業がなくなり事故が起きる可能性が高くなる気がする。
だからといってリモートワークを後退させると言うわけではなく、そうした課題をクリアしつつ、どうすれば順調に、そして快適に仕事ができるかを考えを革新していかないといけないと思う。
また、そこには技術の進歩も必要かもしれません。
▼集団
会社は単に仕事をしに来ているわけではない。会社にいる同僚などその人の顔を思い浮かべ探しとのやりとりを悲しみそれが人生の1部となっている。自分の自分だけの人生を生きているわけではない。今リモートワークの話が進みつつある中、リモートワークの意義は大変あると思うけれど弊害も多く出てくるように思う。今一度自分は何のために働くのかなぜ生きているのか。周りの人と生きるとは一体どういうことなのかどっち今一度考えるきっかけとなる朝だった。