今朝は寒く外にでるのが億劫だったので、
布団にくるまって瞑想をした。
そのとき小4の娘のアラームが鳴って娘が起きた。
ぼくはしっかりと座って瞑想しているすがたをみられるのが恥ずかしい。
▼なぜ恥ずかしいのだろうか
しっかりと向き合っている姿は、恥ずべきことではないけど恥ずかしい。ほんとは立派だと思われたいのにである。
そんなことをふと思いながら、恥ずかしながら瞑想を続けた。
照れ隠しは魔法ではない
伝わっている
光をみせよ
そんな“声“が聞こえてきた。
正直にね、わかりましたー
▼照れ隠しのうら
照れ隠しの裏にも何かあるかもしれない。
さらに探究することにした。
おそわれる恐怖とはすかしさが入り混じる
からだに自律的振動が起きる
からだが正直に反応しているところをみると、このあたりが本質なのだろう。
▼おそろしい恐怖
恐怖というのは本当におそろしいものだ。ある独裁者が自分の国の大会なのに、自分のうしろを守る護衛をつけていた画像をみた。
なぜかの国は他国への侵略を行うのか。本質的には、恐怖からくるものに違いない。恐怖が原動力となり、自分の脅威となるものに対して刃を向けるのだろう。