ブラ街道

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中原街道

意外とあたたか川の水。丸子の渡しで多摩川渡る

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今は立派な橋がかかるこの丸子。昭和の初めまで、舟で渡っていたそうです。10/30、丸子の渡し祭りで、年の1度の復活をする丸子の渡しを体験してきました!

2016年10月30日(日)

第3回丸子の渡し祭りが行われた10/30は曇りの寒い日となりました。ずっと暖かい日が続いた10月において急に寒くなり最高気温13℃。舟に乗るまで1時間以上、寒空のもとで待つことになりました。

中原街道には昭和10年(1935)5月に丸子橋がかかるまで橋がなく「丸子の渡し」で多摩川を渡っていました。明治から昭和にかけて中原街道沿いの往来が盛んになり、天候により欠航する渡しの不便さが高まり、ついに「橋」ができたとのこと。

中原街道は、江戸と平塚の中原を結ぶ道です。江戸時代の初期には参勤交代の道路として多用されたが、東海道が整備されると、次第に脇街道となった。ただ、近道であったため、急ぎ旅や商用に重宝された道であったとか。

「中原往還絵図」は中原街道を描いたものです。

中原街道で多摩川を渡るのが丸子の渡しです。そんな渡しが祭りとして復活し今回が3回目ということで行ってみました。

川崎会場では、鮎の塩焼きや凧揚げ、ペーパークラフトの渡し舟作成など、催し物がいくつかありました。そのなかで、まず最初に多摩川通行手形に焼き印をしてもらいました。

子どもたちは、手作りの凧をもらい、広いグランドを目一杯走り凧揚げを楽しみました。

またおじさんに教えてもらいながら、ペーパークラフトの渡し舟作成をしました。

一方、メインの渡し舟は1回10人ほどしか乗れないので、長蛇の列ができていました。

凧揚げのあと、舟に乗るために列に並んだはいいけど、なかなか進まない。大道芸や鮎の放流もやってたけど、列に並んでいるので、あまりよく見えない。

あまりの長蛇にあきらめて帰る人もちらほらいました。寒空のもと、子どもたちは河原で遊びはじめたので、ひとり列に並び順番を待つことに。

残念ながら携帯の電池が切れてしまい、写真は撮れないし、時間もわからない。2時間近く待っただろうか。やっと回ってきた順番。2歳の子と5歳の子とベビーカーも舟が揺れないようにそっと乗っていよいよ出航!

小さな舟なので、水面が近い!

5歳の子の手でもすぐに水面に手が届く距離。5歳の子が川の水を触ると暖かい!

船頭さんによると、この時期の水は気温より暖かいのだそうです。

ぼくも水面を触ってみると、ほんとに暖かい!寒かったので余計にそう感じた。

昭和のはじめまでこうやって渡っていたと思うと感慨深かった。冬には土橋ができるほど水量が減るそうで、川幅もそんなに広くないので、数分で渡し時間は終わった。

でもやっぱり寒かった。

このあと風邪をひいてしまいました…

昔の人体験はほどほどにしないとね。

-中原街道

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