江戸時代に流行した「富士講」をたどってみた。富士講は、江戸時代に江戸から富士山へ徒歩で向かい、お参りして帰ってくるという庶民信仰。講の場所によるが、ある講では、前富士で高尾山詣で→富士吉田から富士登山→後富士で大山詣でをしたという。さすがに全部歩きでたどれないが、4日かけてできるだけ歩いてみた。
1日目 高尾山(2019/7/17)
高尾山登拝
9:46 京王高尾山口到着。高尾山口は標高190m。
高尾山へは1号路を使い、ケーブルカーやリフトを使わずに上ってみる。リフト降り場付近の462mまで一気に登るので、結構大変だった。
そこまでが一番大変なところであとはそれほどきつくない。
チベットの仏教寺院のマニ車のようなクルクル回すと六根清浄になるものが所々に設置されている。実は1号路を登る途中にもあったので、もれなく回してきた。今回は江戸時代の富士講をたどり”六根清浄”をしたいと思っている。
108段の男坂を上り薬王院へ。
薬王院で精進料理を頂く。
そばや天ぷらがあるなか、やっぱりとろろが美味しかった。今回の旅はできるだけ殺生のないものを食べたいと思っている。
高尾山奥院からさらに上がったところにひっそりと浅間神社がある。
ここ高尾山から毎年富士山へ5泊6日で歩いていくという高尾山富士登拝十界修行をしているとか。その道そのものではないが、自分もできるだけ富士山方向へ歩いて進むということで相模湖まで行くことにした。
古来より毎年のように富士道者は富士山に詣でますが戦国時代に甲州武州が乱国になり、国境に関所ができ富士山へ参拝する宿路が絶たれました。
北条五代記によると高尾山への信仰が厚かった北条氏康は庶民参拝のため、天文年間(1532~1555)に富士山の浅間大権現を高尾山へと勧請します。
以来、高尾山の浅間社に詣でれば同じ功徳を得られると多くの人々が参拝に訪れるようになります。
その後、物替り星移り平成の現代において先人太古の精神を今に伝えようと、高尾山修験道は毎年この場所より歩いて五泊六日の富士登拝修行を行っております。
浅間神社から高尾山頂上まで数分で到着する。本日はあいにく富士山見えず。梅雨の合間で、晴れ間が出ても雲は多い。
小仏城山へ
高尾山を抜けていくので、頂上からもみじ台へ進む。10分くらいで着く予定だが、どんどん下っていくので不安になる。
12:54 5号路につきあたり、そこから登りもみじ台に到着。やはり富士山は見えない。
もみじ台からもどんどん下るが、また登り。
13:31 一丁平展望台につく。甲州街道沿いのふもとの町の景色がみえる。晴れて暑くなってきた。
13:56 小仏城山(670.3m)に到着。
小仏城山は高尾山より少し高く、奥に位置する。木彫りの天狗の向こうに高尾山、八王子の市街が見える。ここは電波基地局や城山茶屋がある。ウグイスがないていて、風が吹くと涼しくて気持ちいい。ずっと梅雨空だったのに今日は晴れた!
14:44 小仏峠到着。ここは小仏峠宿跡か?
甲州街道を歩く
ここから甲州街道を歩く。
15:12 少し右肩が痛くなってきたので休憩。高速道路の音がだいぶ近い。
15:22 舗装道路にでる。ここからどういくの?
16:01 美女谷の曲がり角
16:16 底沢バス停
16:50 相模湖駅到着
ここからは電車でショートカットして、大月で乗り換え富士山駅到着した。あすは0合目から富士山に登る。